豊富なカラーを持ち、半透明の優しいミルキーカラーと美しいロウのような光沢が人気のカルセドニー。和名は「玉髄」といい、石英グループの一種です。
潜晶質石英と呼ばれる目に見えないくらい細かな石英の結晶が集まり、塊状に形成したものがカルセドニーになります。黒、青、茶、淡黄、褐色、緑、グレー、赤、白などの様々な色があり、色によって名前が分かれます。青色のカルセドニーはブルーカルセドニー、アップルグリーン色はクリソプレーズ、朱色はカーネリアンなどと言われます。
名前の由来はカルセドニーが多く産出されていた、古代ギリシャの街”カルセドン”に因みますが、産出自体は世界各国の様々な場所で産出されます。カルセドニーは硬度が高く、宝飾品などの加工に向いており、様々な宝飾品に使用されてきました。そのため、カルセドニーを使用した印章やアクセサリーが数多く残されています。
日本でも、石器時代の遺跡からカルセドニーで作られた矢じりやナイフなどが出土されています。江戸時代にはその硬度の高さから火打石や乳鉢としても使用され、人々の生活に身近に関わってきました。現在でもかんざしや帯留め、食器など使用されています。
フランス皇帝 ナポレオンの印章-カーネリアン―
フランス革命後の激動のフランスを治めた皇帝ナポレオン
今もなお、英雄として名を残しています。ナポレオンは、地中海に位置するフランス領コルシカ島で貴族として生まれ、ただの一軍人から皇帝になったいわゆる、サクセスストーリを地で行く男。軍人からフランス皇帝になるものの、ロシアとの戦いに敗れ罪人に。最期は、海に囲まれた孤島セントヘレナ島に島流しにされ、孤独のままに死んでいく悲しき顛末。
そんなナポレオン、最初の妻ジョセフィーヌと夫婦揃って無類の宝石好きで、収集家でありました。お守り的な宝石があり、肌身離すことなく持っていたものがあります。
それがカーネリアン。安価で加工もしやすく、庶民が使う石で出来たカーネリアンの印章を愛用していたとされています。その印章は八角形でできており、「しもべ、アブラハムは慈悲深き神に身をゆだね」という意味のアラビア文字が刻まれていたといいます。なぜアラビア文字なのでしょうか。
これには、ナポレオンが大の読書家であり、迷信深かったことが起因します。
ナポレオンが活躍していた当時、アラビア語で書かれた書物のなかに、宝石の効能に関することをまとめた宝石誌がありました。そこには、カーネリアンは中近東では指導者に”最も相応しい宝石であり、身に着けると雄弁かつ、勇敢になり恐れを知らなくなる。さらには、カーネリアンにアラビア語で聖なる言葉を刻むと、邪悪な企みや嫉妬から身を守ることができる”と記されていました。動乱のフランス革命を経て、一介の軍人からフランス皇帝に成り上がった、稀代の英雄ナポレオンにしても、フランスという国を背負う事は、重責だったはず。お守り的な意味でも験を担ぐ意味でも、カーネリアンの印章をナポレオンは愛用していたとされます。ナポレオン死後も後継者である子や甥たちに引き継がれていきましたが、現在ではその行方は分かっておりません。
アレキサンダー大王の守護石 ―クリソプレーズ―
紀元前300年ほど前、ヨーロッパからアジア一帯を征服した通称アレキサンダー大王。正しくは、古代ギリシャのマケドニアの王アレキサンドロス3世。
クリソプレーズはギリシャ語の「金 chryso」と「西洋ねぎ prason」が語源。
オーストラリアが一大産地として知られていますが、世界各国で産出されます。カルセドニーのなかでも高級な石として、古代ローマやギリシャでは、カメオなどの装飾品として身につけられていたようです。
クリソプレーズは紫外線に当たると退色してしまう性質があり、アレキサンダー大王は、退色してしまわぬようにベルトの内側に挟んで持っていたとされています。
ある水浴の際、ベルトを外しておいていたところ、ベルトを蛇に噛まれてしまいクリソプレーズが川に流れてしまったことがあったそう。百戦錬磨の偉業を成し遂げていたアレキサンダー大王でしたが、クリソプレーズを失ってからは戦いに勝つことが難しくなり、間もなく亡くなってしまったとも・・・・。
伝説的な話であり、まことしやかではありますが、稀代の英雄をクリソプレーズが守っていたのですね。